このCDに収録した作品は、マヌエル・デ・ファリャの「火祭りの踊り」に
始まり、「バスク地方の前奏曲」の夜うぐいすまで、どれもが私にとって大切に弾いて
きた、思い出深いばかり曲です。私自身が触れてきた素晴らしいスペインの景色、
空気、青い空、そしてスペインの温かい人々への想いを込めた、このアルバム『paisajes』に
収められた音楽で、様々なスペインの風景を感じとって頂けることを願っています。
そして、私が作品に込めた思いが皆様の心の中に届きますように。。

*CDアルバムのタイトルはグラナドスの「パイサッヘ」から。
AVEの列車で配られる冊子「Paisajes desde Tren」と共に。
◎どしゃぶりの中でのレコーディング
2003年が明けたばかりのⅠ月3日、私は1人で意気揚々とマドリッドの空港に降り立ち、翌日
には列車でアンダルシアへと向っていました。このスペイン音楽選集を録音したのは、スペイン
のハエン県、リナーレスにある小さなスタジオ「パノラマ」でした。録音前日には最終仕上げの
アドバイスのレッスン、そしてディレクターとして、一日付き添ってくれたホセ・マヌエル・ク
エンカ先生と録音技師のガリャードさんとともに過ごしたのですが、天候は大荒れで、ヒョウが
降る程の大雨の日でした。その時の手帳を見ると、まず11時から2時半まで録音し、休憩を挟んで
再び、5時から9時までに全ての録音を終了したとのメモ書きをしてあります。翌朝10時の
列車でマドリッドにいかなければならない予定だったため、録音したものを夜中の1時半までかか
ってCDーRにしてもらって受取るという、今考えれば、ずいぶんな強行軍をやってのけていました。
録音中のハプニングは、あまりのどしゃぶりに、途中からなんとこのスタジオに雨漏りがしだした
ことです。ついには天井からぽたんぽたんと落ちるものだから、その音も入ってしまうのではと
心配になりながらも、とにかく、心落ち着かせ音楽に集中し、全力をだしきりたいとの想いで、
なんとか演奏し続けたのを覚えています。そんな状況の中を根気よく付き合ってくれたスタッフの
皆さんには感謝するばかりでした。
今振返ると、不満足な部分も目につきますが、その当時の私が取り組んだ1枚のCDアルバムが、
多様なピアノ作品の中でも弾かれることの少ないスペイン音楽を紹介する一端として、今も皆様に
聴いて頂けることが、この上ない喜びです。
第2弾の構想も夢見ている今日この頃ですが、改めてこのCDアルバム<パイサッヘ>に収めた
作品それぞれへの思いを綴っておきたいと思います。
すでにCDをお持ちの方には、これを読んで頂くことによって、より楽しめますよう、又、まだ
お持ちでない方には、スペイン音楽の素晴らしさに少しでも興味をお持ちになって頂ければ幸い
です。
◎それぞれの曲について
☆火祭りの踊り<組曲『恋は魔術師』より>(M.デ.ファリャ)
まずは近代スペイン民族主義楽派の頂点に立つ大作曲家、マヌエル・デ・ファリャの作品が
4曲続きます。一番初めに置いたのは、有名なバレエ音楽「恋は魔術師」の中より<火祭りの
踊り>。この録音当時の演奏は、自分で今聴くと、多少ものたりなく感じるのは、だんだんと
スペイン情熱度が増してるせいかもしれません。今また再び、コンサートで弾きたい大好きな
作品です。
☆ドビュッシー讃歌(M.デ.ファリャ)
ファリャがドビュッシーへの想いをこめて書いた作品。同時代を生きた作曲家同士の暖かい交流
までもが伝わるような、真摯で敬虔な讃歌。最後に奏でられるドビュッシーのピアノ曲「グラナ
ダの夕べ」からのモティーフを引用した部分が、一段と二人を引寄せるようで心に迫ります。

*グラナダのマヌエル.デ.ファリャ音楽堂にあるポスター
☆スペイン舞曲 第1番/ 第2番<歌劇『はかない人生』より>(M.デ.ファリャ)
ファリャの傑作、スペイン舞曲。多くの楽器に編曲されて演奏されていますが、この多彩な
リズムとテクニックを要するファリャの曲を録音するには、勇気がいりました。
というのも、私は技巧派では決してないので、特に難しい第2番を弾ききり、この曲の魅力
と情熱を表現することができるか、という自問自答のすえの挑戦でした。
でも、この「はかない人生」において、そう簡単にあきらめることはできません。
今思えば、この作品をこのアルバムの中に収めることができたことを嬉しく思います。
☆闘牛士の祈り 作品34(J.トゥリーナ)
スペインの伝統ある闘牛。私は幼少の頃、メキシコの闘牛場で一度見て以来、その牛達のたどる
運命に衝撃を受け、好んで行くことはありませんが、この「闘牛」というものには、光と影、
生と死、赤と黒、歓喜と悲しみ、様々なドラマティックなものを多くはらみ、それは多くのアー
ティストに影響を与えてきたことが伺い知れます。トゥリーナのこの<闘牛士の祈り>を演奏する
と、自分がまるで闘牛士になったかのように、闘い挑み、高揚する気持ち、そして祈りの気持ちを
感じます。実際の闘牛場で初めの場面に演奏されるというこの作品によって、ひとつの芸術の高み
へと引き上げてきたスペインの「闘牛」の世界の一端に触れることができるのではないでしょうか。

*リナーレス市にある由緒ある闘牛場
☆スペインのセレナード(J.マラッツ)
カタルーニャ出身のピアニスト、ホアキン・マラッツはアルベニスやグラナドスの作品の初演を
行なった名ピアニスト。彼の作品として知られているのは、この<スペインのセレナード>たった
一曲なのですが、生き生きとしたリズムにのって歌われるメロディとトリルが絶妙な作品です。
ギターの編曲でも弾かれることが多いようですが、オリジナルはピアノ。古き良き時代の香りを
感じることのできる、このセレナードが大好きです。
☆パイサッヘ・風景 作品35 (E.グラナドス)
このアルバムのタイトルとした、<パイサッヘ/風景>。
スペイン民族主義楽派の立役者の1人であるエンリケ・グラナドスの若い時代の作品です。
私はこの作品の美しい流れるようなメロディが大好きで、目を閉じて演奏していると、すぐに
スペインの列車の旅を思い出し、車窓から流れゆくのどかな風景が鮮やかに浮かんできます。
ゆるやかに進み、ときにははるか遠くに見える街への憧れ、希望、、そして流れるように過ぎて
ゆく景色。。甘美なひとときをこの曲と共に過ごすとき、最後にはなぜか涙が溢れてくるのです。
☆嘆き、またはマハと夜うぐいす <組曲『ゴイエスカス』より> (E.グラナドス)
続くグラナドスの作品は、彼の最大傑作といわれる組曲『ゴイエスカス(ゴヤ絵風の情景集)』
の中よりのⅠ曲。私にとって、この曲ほど感情移入してしまう曲は他にないといっていいほど
美しく神秘的な作品です。中庭の窓辺で思いに沈むマハ(美女)と、茂みでさえずる夜うぐいす
の様子が目に浮かび、グラナドスのロマンティシズム溢れる想いが、物語のなかへと弾き手を
誘います。
☆ハバネラ/羊飼いの娘の踊り (E. ハルフテル)
ファリャ、トゥリーナの次の世代の重要なスペインの作曲家として挙げられる、ロドルフォと
エルネストのハルフテル兄弟です。ここで取り上げたエルネスト・ハルフテルの2曲は、いずれ
もピアノのための愛らしい作品ですが、<ハバネラ>は、弾いていると懐かしい時代を呼び起こ
すかのようなあたたかい響きとハバネラのリズムに癒され、<羊飼いの娘の踊り>は躍動感あふ
れるリズムと、繰り返される印象的なメロディがいつまでもこだまします。いずれも私のお気に
入りの作品です。
☆『レバンテ・東方』 ピアノのためのメロディと舞曲のテーマ(O.エスプラ)
オスカル・エスプラの故郷、レバンテ地方のフォルクローレに根づいた美しい作品。全10曲
からなる組曲で、いずれも1曲づつは短いのですがそれぞれが美しいメロディを持ち、不思議な
魅力を持っています。神秘的な趣のNo.1から、最後のNo.10の力強く繰り返されるリズムまで、
エスプラの深い故郷への想いが伝わってくるようです。

*街の灯り(ゲルニカにて)
☆<組曲『バスク地方の前奏曲』集より> (A・デ・ドノスティア)
- 悩み - 子守唄 - 月の光へ歌う - 夜うぐいす
最後に聴いて頂くのが、スペインのバスク地方のドノスティア神父(別名サン・セバスチャン)の
美しき作品。この組曲『バスク地方の前奏曲』集には、印象深いタイトルをつけられたプレリュー
ドがいくつも収められているのですが、私が特に心惹かれるのがこの4曲です。ドノスティア神父
の祈りの気持ちが心へ突き刺さるような<Dolor(悩み/深い胸の痛みの意)>。
以前、バスク地方のゲルニカ(ピカソのゲルニカの絵で有名な、内戦時、原爆を落されたことの
ある街)の古い教会でこの曲を演奏したときのことは忘れられません。今も世界のどこかで繰り返
される戦争が起こす不条理を嘆き、世界平和への願いを深くこの曲に託し、子守歌、月の光へ歌う、
夜うぐいす へと続く希望の歌でこのCDを閉じることとしました。